『アイヌ学』を起ち上げよう!
呼びかけ文
大地よ/重たかったか/痛かったか
あなたについて/もっと深く気づいて/敬って
その重さや/痛みを/知る術を/持つべきであった
多くの民が/あなたの/重さや 痛みとともに 波に消えて
そして/大地にかえっていった
その痛みに/今 私たち/残された多くの民が/しっかりと気づき
畏敬の念をもって/手をあわす
(「大地よ――東日本大震災によせて」二〇一一年三月十八日)
この詩を記してから十年の時が経ちました。今年八九歳を迎えましたが、思いもかけぬ出会いから、昨春
『大地よ!――宇梶静江自伝』を出版することができました。今、心はむしろ十年分若返ったような気がしています。私はまだまだ元気です。改めてここで皆さまにお願いしたい。「『アイヌ学』を起ち上げよう」というお願いです。
皆さまは、「アイヌ学」って何? と思われるでしょう。「そんな言葉は聞いたことがない」と言われる方も少なくないでしょう。ここで私が「アイヌ学」と呼んでいるのは、文字通り、アイヌを学問するという意味です。
「アイヌとは何か?」こういう疑問なら、多少なりともアイヌについて考えたことがある人なら、心に浮かんだことがあるのではないでしょうか。
今現在、アイヌは、日本の「先住民族」と言われています。これは国連も認めていることですが、日本政府は、国連が認めている「先住権」までは認めていません。それでは、この場合の「先住民族」とは、いったい何でしょうか? この日本列島に先住していた人びとということになります。ところが、後から侵入してきた人びとに、列島の東西南北の果てにまで逐いやられていったのが、今の日本国における、先住民族アイヌの実態である、といっても過言ではありません。
それは昔のこと、確かに昔のことですが、私たちはその結果として、今このようにここに存在しているのです。確かに歴史は勝者が記すもの。だから、これまでに日本語で記されたアイヌの歴史は、この征服者によって書き継がれたものです。固有の言葉はもちますが、文字をもたないアイヌに文書の類はなく、したがって、アイヌにより、アイヌのために書かれたアイヌの歴史書は、まだどこにも存在しません。では、先住民族アイヌは、普通の日本人とどう違うのでしょうか?確かに、私は生まれた時から日本人でもあったようです。むしろ父母とともに過ごした幼い日々の私には、「和人」や「アイヌ」といった意識はありませんでした。私がアイヌであることを意識するようになったのは、自伝にも書いたように、「あっ、犬が来た」という、言われない悪意ある言葉を浴びせられたその瞬間だったのではないかと思います。それ以来、アイヌと和人(日本人)の違いは、私を捉えて離さなくなってしまいました。私はなぜアイヌなのか? 私はなぜ日本人として暮らしているのか?
それ以来、私は、学ぶことに憑かれたようになります。二〇歳で札幌の中学校に進学し、その後東京に出て詩を書くようになったのも、新聞を通して同胞たちに呼びかけたことも、アイヌとは何か? 私がアイヌであるとはどういうことなのか? という問いに全てつながっているのです。
私が、ここに「アイヌ学」というものを起ち上げたいと願うようになったのも、その延長線上にあります。日本史のなかのアイヌの歴史を繙(ひもと)けば、それは和人によるアイヌ支配の歴史です。江戸時代の末から明治にかけて、私たちが住んでいたアイヌモシリは、まるで無主の地であるかのように、和人の開拓地とされていきます。その過程で、どれだけのアイヌが苦しみ、死んでいったかはかり知れません。土地を奪われ、仕事を奪われ、やがてはアイヌであることの誇りまで奪おうとする。私が身につまされるように読んで来た数少ない歴史書は、その事実をさも当然のことのように記していましたが、それらは皆、和人の視点から描かれたものであり、その裏にアイヌの苦しみや怨(えん)嗟(さ)の声が渦巻いているように思えてならないのです。
こういった状況に少しでも風穴を開けたい、と考えます。そして、機は熟してきているようにも思えるのです。昨年、自伝を出版して以来、そこで訴えたアイヌの精神性に共感して頂ける人びとが少しずつ増えてきています。
先日『毎日新聞』の「みんなの広場」に「私もアイヌの文化知りたい」という記事がありました(二〇二一年五月一日)。
最近、アイヌ民族の古布絵作家、宇梶静江さんの自伝『大地よ! アイヌの母神』(略)にも出会い、自然を崇拝して守り共存するアイヌの姿を知りました。自然破壊しながら競い合い経済発展するよりも、皆が穏やかに優しく思いやり、助け合って生きる社会、大自然の恵みを分け合って生きるという精神性は素晴らしいと思います。
この文章を投稿されたのは、茨城県龍ケ崎市にお住いの六六歳の女性です。一般女性が、こうまで私の本を読み解いてくれているのです。私にはとてもうれしい文章でした。
私が今、「アイヌ学」を起ち上げたいと思えるのは、日々、このような声をきく機会を頂いているからです。私が考える「アイヌ学」とは、アイヌも和人も関係なく、アイヌとは何かを共に考え、共に語り合う一つの場所をこの地上に開くことです。最後に、最近作った一編の詩を皆さまに献げます。
アイヌよ
自分力(りょく)を出せ
アイヌが持つ力は 世界を変える
自分を出すは 自分力(りょく)
自分力(りょく)は アイヌ力(ぢから)
アイヌよ
大地を割って出るが如く
力を出せよ
アイヌ力(ぢから)を!(「アイヌ力(ぢから)よ!」)
二〇二一年 五月十九日
一般社団法人アイヌ力 代表理事
宇梶静江